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 都をどりの歴史

都をどりの歴史

第1回都をどりの開催

明治維新の変革は、京都市民にとって思いもよらぬ結末となった。
明治天皇は、東京遷都を仰出されなかったけれども、事実としては、京都は日本の首都でなくなった。これでは、京都という名は「ミヤコ」でも、地方の田舎町に衰退し行く運命にあることは明らかであった。明治2年、東京行幸のあと、維新の功臣とも親交のあった祇園万亭(一力亭)の主人杉浦治郎右衞門は、変革の情勢と京都の事情とを察知し、教育の重大な使命をも考え、旧祇園執行所址なる町会所を改造して、我が国最初の小学校を設立し、八坂学校(弥栄小学校、現弥栄中学校)と名付けた。
翌3年には祇園新地の営業にも改革を加えたようである。ところが、明治4年には京都府が設置され、京都府知事に、長谷信篤、同参事に槇村正直が任命されると、その京都府政の第一は、京都の町の伝統を保持すると同時に、新時代に即応した近代都市を建設することであった。
王朝以来千余年の長い「ミヤコ」としての誇りを失わない努力であった。直ちに、産業、文化観光のあらゆる方面に、積極的に進出した。明治天皇の思召も、新政府要路の大官も、あげてこの行政に権威づけた。
当時ヨーロッパに於いて、華やかな都市文化産業施設としての博覧会という事業が最もこの要求を満たすものであるとの信念をいだき、同4年の末に京都御所、仙洞御所に我が国最初の博覧会を開催したが、未だ同年にはその機熟せず時候も悪かった。それで翌5年の春を期し、萬般の計画を立てた。
長谷知事、槙村参事は、両本願寺をはじめ京都の諸本山に命じて全国の信徒団参入洛を計らしめるとともに、京都の工芸、物産を督励することにして、博覧会の企画に万全の策を練った。そして注目したのが、先がけて学校建設した杉浦治郎右衞門と、京の花としての伝統を伝える祇園新地とであった。
まず、祇園新地の営業との会合を行い、その団結を計るとともに、杉浦治郎右衞門に意見を求め、春季の博覧会の「附博覧」として、祇園の芸妓・舞妓の茶と歌舞なる芸能を公開する事となった。そこで杉浦治郎右衞門は、祇園新地舞踊師匠 片山春子(三世井上八千代)などと共に、伊勢古市の亀の子踊にヒントを得て、新工夫をこらして「都をどり」なる「ミヤコ」を名とする新芸能様式を創案したのであった。歌詞は特に参事槇原正直作(実は金子静枝作)のものを京都府より伝達した。

明治5年3月13日から5月末日に至る間、祇園新橋小堀の松の屋席で第1回都をどりが行われたのである。
踊子32名、地方11名、囃子方10名、計53名が7組7日交替で出演した。
花見小路西側に「歌舞練場」を新造し、ここで明治6年3月、第2回の都をどりを開催し、以後毎年春季にこれを行ったのであった。(大正2年に現在の地に歌舞練場を移転拡大したのである)
祇園町南側には織田有楽の旧宅で、その墓所のある正伝院には有楽好の名席如庵があった。
明治21年、これを都をどりの茶席として、裏千家家元玄々斎宗匠が特に茶立女の伝統を考慮して我が国茶道最初の「立礼」様式の点茶を創案して指導に当たられ、これに基づいて芸妓、舞妓の茶手前を公開したのであった。

都をどり年表

明治5年 3月13日〜5月30日(80日間)
第1回 都をどり
祇園新橋小堀の松の屋にて第1回都をどり開催
踊子32名 地方11名 囃子方10名 
合計53名が7組7日交替で出演
明治6年 歌舞練場にて第2回都をどり開催
明治21年 お茶席裏千家11代家元玄々斉宗創案(立礼式)
大正2年 4月 現在の地、歌舞練場にて、第44回都をどり開催
昭和18年 第76回都をどり開催以後、戦争により6年間休演
昭和25〜27年 3年間 南座にて都をどり開催
昭和28年 第80回都をどり 新歌舞練場にて開催
 
都をどり Archives
第49回 都をどり番組 大正6年 第49回 都をどり
「菊花弥栄薫」番組表表紙
第57回 都をどりパンフレット表紙

大正14年
第57回 都をどり
「長久楽御代の壽」
パンフレット表紙

第57回 都をどりパンフレット表紙

昭和3年
第60回 都をどり
「旭の輝」
パンフレット表紙

IMG 昭和13年
第71回都をどり
「旭光遍輝」
第6景「雪の圓山」
舞台風景
IMG 昭和25年
第77回都をどり
「京洛名所鑑」
パンフレット表紙
南座にて
IMG 昭和28年
第80回 都をどり
「謡曲六佳撰」
パンフレット表紙
新装歌舞練場にて
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